心の彩り

アーティストの創造力が鮮やかな紅型の世界で 羽ばたく

今=ジェラード・エルモア
文:
ローレン・マクナリー
写真:
ジェラード・エルモア、緑トモコさん提供
訳:
松延むつみ

「謳うように咲く」という詩の中で、紅型作家である縄トモコさんは「あなたの庭で/謳うように咲いていた/可憐な花弁や蕾が……」と綴っている。「忘れられず/図柄にしようと心に留める(中略)布の中で咲うように/何度となく、わたしは染める……」この詩は、縄さんが長年にわたって手がけてきた紅型作品に添えられた詩の一つである。喜びに満ちながらも瞑想的なこれらの詩は、主に自然との出会いを描き出している。海や空、四季の恵みと交わる歓喜的で儚い瞬間が、詩の中で美しく表現されている。

ある詩では、芭蕉の木の豊満な実と掌のような花が彼女を呼び止める。また別の詩では、貝殻がどこから来たのか思いを巡らせる。「輪舞の花」では、花を手の中でクルリッとまわす様子を「万華鏡のように」と表現している。「……七変化した花に/わたしは恋をした/吸い込まれるように」

縄さんが紅型に出会ったのは2003年のことだった。その瞬間、彼女は畏敬の念ともいえる感情を抱いたという。当時、縄さんは兵庫県に住んでいて、演劇と介護の学校を卒業後、カフェで働いていた。10代後半から沖縄に惹かれていた彼女が、ある日、沖縄の伝統工芸についての雑誌をめくっていると、紅型の鮮やかな色彩の世界に心を奪われた。深紅や牡丹色に染まる楓の葉や梅の花、シナ朱色やカナリアイエローの地に映える翡翠色の竹や松の美しさに衝撃を受けたのだった。「まさに一目惚れでした」と縄さんは振り返る。

紅型作家の縄トモコさんがハレクラニ沖縄のために手がけた特注 の紅 型には、ホテルならではのモチーフが 散りばめられている。敷 地 内 の 曲 が り く ね っ た 小 道 に 沿 っ て 植 え ら れ た ヤ シ の 木 、ホ テ ル 前 の 海 を 泳 ぐ ブ ダ イ 、恩 納 村 の シ ン ボ ル で あ る ユ ウ ナ の 花 、そ し て ホ テ ル を 象 徴 す る ラ ン の 花 が 、美 し く 描 か れ て い る 。
鮮やかな色彩に惹かれて紅 型の世界に入った縄さんだ が、彼女の作品は伝統的な 紅型よりも柔らかい色調が特 徴である。

歴史的に琉球の支配階級や中国の皇族のために制作されてきた紅型は、何世紀にもわたって、琉球王国の外交的威信、そして中国、日本、東南アジアからの文化的影響を象徴する鮮やかなシンボルとしての役割を果たしてきた。紅型のデザインは宮廷によって決められ、より大きな模様や鮮やかな色彩は身分の高さを示していたという。「伝統的な紅型の色彩は、輪郭を縁取る陰影が特徴です」と縄さんは語る。「それは、沖縄の強い日差しと濃い影のためだと考えられています」

紅型の制作に専念するため沖縄に移住した縄さんは、4年の修行を経て、紅型作家として本格的に活動を始めた。しばらくの間、タペストリーや額装作品を全国各地で展示する活動を続けていたが、2014年にはベトナムのハノイに招待され、他の12名の日本人女性アーティストと一緒にグループ展に参加した。

展覧会で日本文化を紹介するため、手伝っていた日本大使館員の夫人らがオープニングで着物を着ることを計画し、縄さんやその他の参加アーティストたちにも着物を着るように勧めた。日本から遠く離れた地で、日本の伝統的な装いに新たな光が投げかけられたのだ。「そのとき初めて、着物の素晴らしさを実感しました」と縄さんは語る。

「布の中で咲うように 何 度 と な く 、わ た し は 染 め る 」

紅型作家 縄トモコ

現在、縄さんの紅型制作の中心となっているのは、日本の着物市場向けの帯である。南城市にある彼女の工房では、細長い部屋の端から端まで広がった長い帯地が乾燥棚に沿って上下に吊り下げられている。それはまるで風を受けて膨らむ船の帆のようだ。縄さんは1日の大半をこの工房で過ごしているが、8歳になる娘の食事を準備するために、車ですぐ近くの自宅に帰る。それは、彼女にとって大切なひとときだ。「染色に没頭すると、時間を忘れてしまいます。本当に好きなことをしているときは、信じられないくらい幸せです」と語る。

最初に縄さんが惹きつけられたのは紅型の鮮やかな色彩だったが、彼女の作品は、より穏やかな色味が特徴で、それが本州の日本人顧客に支持されているという。広大な砂丘、霧に包まれた山々、穏やかな海の風景が広がる山陰地方、彼女の故郷であり過疎化の進んだ鳥取について言及しながら「私の紅型には、鳥取や山陰のフィルターがかかっているんです」と縄さんは呟く。「色は少し柔らかめです。生まれ​​もった色彩感覚と彩度の好みがあり、それが作品に表れていることに、だんだんと気づくようになりました。今では、私のスタイルは私独自の表現の一部なのだと受け入れるようになったのです」

彼女のデザインには、生まれ育った日本の文化的背景も反映されている。沖縄の古典的な紅型模様に加え、縄さんは、日本の宝づくし紋(縁起の良いさまざまな宝物を描いた吉祥文様)を好んで用いる。「伝承と伝統は違うものだと先生から教わりました」と縄さんは語る。「伝承とは、古いものをできるだけそのまま保存すること。伝統とは、新しいものを取り入れながら時代と共に変わっていくものです。どちらも大切だということを教わりました。自分にとってどちらがしっくりくるのかを考えたとき、私は伝承よりも伝統に共感することに気づいたのです」

この観点は、琉球王国が崩壊し、政治的・社会的混乱期を経た後、多くの伝統工芸が復興する原動力となった。著名な紅型師一族出身の城間栄喜さんは、第二次世界大戦後の紅型の需要も創作の手段もほとんどない状況下において、紅型の存続に尽力したことで、紅型の先駆者として尊敬されている。米軍基地の廃棄物の中から道具として使用する素材を探すこともあった。そして、城間さんは、彼の一族が歴代王朝のために生み出した古典的な紅型模様を基に、新しい市場にアピールする紅型デザインをさらに繰り広げた。

この再創造の精神から生まれた縄さんの作品は、故郷の色彩や伝統を取り入れて美しく花開く。2019年にハレクラニ沖縄のために制作したオリジナル柄は、多彩な影響を受けた風景の魅力を見事に表現している。「椰子の木の並ぶ道をぬけて……」作品に添えられた詩の中で縄さんは語る。「恩納村花であるユウナの花と、/ハレクラニ沖縄の象徴である/ランの花が美しく彩りの先。/どこまでも青い海と、/そこに泳ぐ鮮やかな魚たち、輝く珊瑚……それらを大事に守っていきたいと願いを込めて制作させていただきました」